「どうぞのいす」
うさぎさんの作った「どうぞのいす」は「どうぞおすわりください」のいすだった。
ろばさんは「どうぞのいす」の看板を見て、「どうぞおつかいください」のいすだと思う。でもいすに荷物のどんぐりをかごのまま置いて、木陰で眠ってしまうなんて、不用心にもほどがある。どうするの。荷物に何かあってもしらないよ。
そしてはちみつ抱えてやってくるのはくまさんだ。くまよ、くま。食べてるのは木の実ばっかりじゃないのよ。ヒグマだったらシカもイノシシも食べるし、ロバもたぶん食べるよ。ヒグマだと書いてはいないけれど。
くまさんは「どうぞ」の看板とどんぐりをみて、「どうぞおめしあがりください」のいすだと思う。「どうぞならばえんりょなく」とかごいっぱいのどんぐりをたいらげる。ろばさん座ってなくてよかった。木陰で眠ってて気づかれなくてよかった。
くまさんは言う。「でもからっぽにしてしまっては あとのひとにおきのどく」
くまさんはこの「どうぞのいす」を、おすそわけを置いておくもの、美味しいものを提供する場所と解釈したんである。やさしい。そしてひとびんのはちみつを籠の中に入れておいた。
次にやってくるのはきつねさん。きつねさんは細長いパンを2本もっている。きつねさんも看板をみて「どうぞならばえんりょなく」とはちみつをすべておいしく舐めてしまった。このしたたるはちみつ、つやつやとしておいしそう。
きつねさんは言う。「でもからっぽにしてしまっては あとのひとにおきのどく」
あっという間にシステムを理解する。自分がおいしくいただいたぶん、次のだれかにもおいしいものを用意すること。そしてパンを1本置いていく。
その後、10ぴきのりすさんがやってきた。くりひろいの帰り道、両手に山ほどのくりをかかえて。りすさんたちはかごの中のパンを分け合って、またたく間にたいらげた。
このパンが美味しそうなんである。きつねさんのパンは細長くてフランスパンのような形をしているが、りすさんたちがもふもふとほうばる断面をみると、皮はかたくないのではないかと思われる。フランスパンではこうはならないのでは?コッペパンのような、やわらかめの皮なのでは。いや焼きたてのフランスパンなのかもしれないな。
パンはふっかりとした中身であってほしい。バターの香るしっとりした生地で、もっくりと割ると、しあわせな湯気がほわほわと、ほんのすこしだけでも出てくるといい。ひとくちごとに鼻を近づけて、すんすんと香りを嗅ぎながら食べたいパンだ。
りすさんたちも言う。「からっぽにしてしまっては あとのひとにおきのどく」
どんぐりの入っていたはずのかごには、くりが山と盛られている。
さて昼寝から目を覚ましたろばさんはどうするか。
ろばさんは「どうぞおつかいください」のいすだと思っているから、かごの中身がすっかり変わっていることにおどろいても、荷物をそのままもっていくのだと思う。どうぞの品をおいしくいただいて、自らもおいしいおすそわけを置いていくことはしない。
あとに残るは「どうぞのいす」の看板と、短いしっぽのついたかわいいいすだけ。
思いがけずおいしいやりとりがあったことを知っているのは、おなかのふくらんだ彼らといすと、さいごまでそっと見ていた、わたしだけ。