おいしい本が好き

本の中の食べ物はおいしそうに見える。

「ぐるんぱのようちえん」

 

ぐるんぱのようちえん

ぐるんぱのようちえん

 

 

「かーさんケット」というビスケットがある。

パーマ頭のお母さんが皿に盛られたビスケットをこちらに差し出すパッケージ、容量は多いしお値段はお手頃。

母がよく買うおやつのひとつだった。

私はそれをティッシュペーパーの上に何枚かもらって、コップには麦茶を注いで、隙間の図書室に潜り込む。冬ならばこたつ。

 

私には、絵本とビスケットと隙間の図書室、寒ければ毛布があればそれだけでよかった。

それでも、ときには絵本を放り投げて膝に顔をうずめたりまあるく横になってみたりして、誰もいない部屋の隅で、きいんという無音の音を聞きながら、わけのわからない気持ちが通り過ぎるのを待っている。

いいや、幼心にもわかっている。

その気持ちの名前は「さみしい」。

 

ぐるんぱはいい年して仕事もせずに森でさみしい気持ちを持て余し、うっすら泣いて風呂にも入らないいわば引きこもりの象である。

群れは話し合いの末、ぐるんぱを本人の気持ちはさておき働きに出そう、と結論づける。

ざぶざぶ洗われたぐるんぱはさっぱりしたなかなかの若者になった。

 

最初の勤務先はびすけっとやのびーさんのところ。

はりきって作った「とくだいびすけっと いっこいちまんえん」は買い手がつかず、ぐるんぱはびすけっとを退職金に「もう けっこう」。

 

(おしえてくれたらいいのに。

どのくらいの大きさにするとかさ。ぐるんぱの手が大きくてむりなんだったらさ、ぐるんぱにできることをおしえてくれたらいいのに)

 

さらやのさーさん、くつやのくーさん、ぴあのこうじょうのぴーさん、じどうしゃこうじょうのじーさん…

ぐるんぱの作るものはどれもどこでも人間には合わないサイズで、ぐるんぱはその度に作ったものを手に、しょんぼりと職場を去っていく。

 

また涙が流れそうになったころ、ぐるんぱは子だくさんのお母さんと子どもたちに出会う。

そしてようちえんをつくるのだ。

 

びすけっとをおやつに、おさらはプールに、大きなくつやすぽーつかーでかくれんぼ、ピアノを弾いて歌うぐるんぱ。

もうさみしくないし、ひとりじゃない。

 

ああよかった、ぐるんぱ、よかったね。

 

「びすけっと、まだたくさんのこっていますね」

最後の一文に、私はいつも不安になった。

だってびすけっとはいつかなくなってしまう。びすけっとがなくなったらどうすればいいのかしら。

まあるくなってぎゅっと目を閉じて考える。

びすけっとがなくなってもみんなようちえんにきてくれるかしら。

ぐるんぱはまたひとりぼっちになったりしないかしら。

その頃には、ティッシュペーパーにはビスケットのかすが残るだけ。

 

いま考えてみれば「とにかく働きにでて社会と関わりを持て、どんな経験もいつか役立つスキルになるはず」というお仕事物語でもあることに気づく。

そしてぐるんぱ、サイズはともかくそれなりに形にできちゃうって、器用!えらい!

 

ひとりで本を読むのはもちろん好きだけれど、ここにこうしてひとりぼっちはさみしいので、ぐるんぱを見習って森を出ましょう。

まずは絵本の思い出など、書いていきます。

 

 

 

 

 

 

これです。これこれ。